生命は混沌(chaos)に始まり、明確となり、再び混沌へ回帰しながらも
螺旋的、弁証法的に発展する。
この事を理解しない限り生命や細胞の起原は到底正しく把握できないだろう。
千島喜久男
向上を期す時
自ら抑制の環境に置く
素凡人 運知力発揮!
食べて
歩いて
出して
ねる
おひさま母さん!
ありがとサンキュ!
生命は混沌(chaos)に始まり、明確となり、再び混沌へ回帰しながらも
螺旋的、弁証法的に発展する。
この事を理解しない限り生命や細胞の起原は到底正しく把握できないだろう。
千島喜久男
向上を期す時
自ら抑制の環境に置く
素凡人 運知力発揮!
食べて
歩いて
出して
ねる
おひさま母さん!
ありがとサンキュ!
~嵐に芽生えて、何と美わしく、
多彩な虹の弓ただ一つ、
うつろいつつも持続して張る。
時にくっきりと輪郭を現わし、
またやがて空に散って行き、
涼しく薫る雨をあたり一面拡げ行く。
これこそ人間の努力を反映する鏡だ。
静かに虹に思え、
自ら明らかになるだろう。
生命は光ではなく、
反映した色彩であることを。
食べて
歩いて
出して
ねる・・
努力 即 幸福
おひさま母さん!
ありがとサンキュ!
すべて見本のある事さえも出来ぬという心持が、支配しているならば、
世の中に研究や発明がどうして出来よう。
何でも出来るという自信は、紙さまと縁筆にある。
世に不可能事なしという確固たる信念も、決して遠い所にはない。
直ぐ目の先にある。
縁筆にあるのである。
ぴよでも魚拓でも、空を飛べるのである。
この心が、自然に湧き出て、自然に発展する時に、
真愛宗教家の発心と同じ価値である。
人に愛(?)を注入しようとも思わなければ、好意(?)を売ろうと
いう感じもない。
これが直ちに、真の愛であり、紙の心である。
血球凝固と赤血球 千島喜久男
従来の血液凝固学説は、fibrin析出の化学を主とした傾が濃い。従って血球の行動面ではBizzozero時代と大差ない現状である。
私は、赤血球の行動を主体として各種脊椎動物につき研究した結果、血液凝固の主要因はfibrinの析出よりは寧ろ赤血球の凝集、viscous metamorphosis、あるいは破壊等による塊状化及血漿のgel化が主要因で、fibrin形成は二義的であり、特に鳥類以下では、fibrin形成は血液凝固に必ずしも不可欠ではないという証左を得た。
その他従来fibrinの析出、血小板の破壊、凝集等と考えられている現象は、赤血球の行動と直接的な関係のあることを知った。
生体観察(私の材料とした脊椎動物)ではfibrin netは認め得なかった。カエルにおいて赤血球が凝固中心へ移動するのはfibrin様物質の収縮による他動的なものである。
血球分化説 千島喜久男
私の血球(主として赤血球)分化説は一言にしていえば哺乳類の無核赤血球は、まだ細胞前の段階で、これから細胞内にDNAを自ら合成して細胞へ変わって行くものであり、赤血球⇄白血球、赤血球⇄生殖細胞、赤血球⇄すべての体細胞などの可逆性が栄養状態の変化、発生の時期などのちがいによって起こるが、これは生体内に於ける血球の存在する場所(いわゆる細胞環境)に従ってどんな種類の細胞にでも変わり得る、極めて可変性に富んだ若い細胞(鳥類以下の下等動物の有核赤血球)又は細胞前の段階のもの(哺乳類や人の無核赤血球)だということであり、それは事実である。
ただ、この場合脳は運ばれた赤血球が脳細胞に接着して脳細胞に分化したり、肝細胞に接着して肝細胞に変わるのは、その“場”(field)の物理、化学的特性のほか、そこの科学的特性に支配される。それを私は、一応その“場”の誘導作用(induction)とよんでいるが、その“場”のもつ詳しい物理、化学的性質やその生化学的反応を方程式で示すことは現代の物理、化学ではできない。それは丁度Kervranが生体によって原子転換が行なわれるが、それを起こさせる生体の酵素が何であるかを現在明らかにすることは出来ないと言っているのと全く共通的である。
私は無核赤血球が種々な有核の細胞へ分化(転換)し、その後DNAの無かった所に、DNAが蛋白質を母体として新たに合成される事実を確認しているが、しかし、これがどういう化学的変化で行われているかを、私には説明は出来ない。また現代の生化学の知識ではそれは説明できないことになっている。
しかし、このような変化が実際には、生体内で起こっているのである。
化学は、事実が第一義的であり、説明は2次的である。
現代科学で説明できないことは、たとえ事実であっても、それを否定しようとする科学者の態度は正しくない。
事実唯真
薬毒は
混合物の用量次第
しかし個体差があり
発達の時期による
暴露許容量
赤ちゃん1滴 致命傷!
生物進化の螺旋性と進化発展の契機としての集合と融合 千島喜久男
微生物や細胞などの起原を率直に観察すれば、単細胞微生物ですら定型的な個体性をもたない有機物質からコアセルヴェーションによって、明確ないわゆる1個の生物体にまで発展するあらゆる段階が認められる。更に微生物のように一応個体性をもったものが集団となり、それが第2次コアセルヴェーション(AFD現象)によって、より大きく、より高次な1個の細胞へ発達する過程も見られる。
個体性を厳密に定義づけたり、識別することは従来考えられているように簡単にはいかない。それ故私は進化の出発点を細胞構造をもたないモネラとしている。
求心的螺旋としたわけは、進化は大局的にはエネルギーの収斂と凝縮であり退化と死の過程は拡大と分散であるからである。また螺旋は前進と後退の反復を表現することにも深い意義をもっている。
進化の出発点即ち有機物モネラやバクテリアからの歴史を荷っているわけである。最も新しく、しかも最も古い存在である。そしていつかは退化絶滅の運命を辿らざるを得ないだろう。これに反してモネラやバクテリアは最も新しく且つ最も古い存在だともいえよう。
ADF現象(超個体的オーガニゼイションまたは第2次コアセルヴェーション)
“United we stand, divided we fall”(合すれば立ち、離れれば倒る)という西諺がある。東洋でも人という字はこれに似た意味を含んでいる。私はこの意味を更に生物全体に拡げ、“ADF現象”が生物の発展、進化や体制化(organization)
の根本的要因であると述べる。
いわゆる1個の生物だと考えられていた下等微生物が集合(Aggregation)し、融合(Fusion)し、更に分化(Differentiation)して1個の細胞又は一個の群体乃至は個体へ発展することが、単細胞及び多細胞生物の発生、進化、発展の根本であることをバクテリアや血球を中心とする私の研究結果を中心に論述する。
このような現象を私は第2次コアセルヴェーションまたはAFD現象(または過程)と呼ぶ。現在の地球上に於いても下等微生物の世界では日々このような群体から又はいわゆる共生と呼ばれている現象を通じて新しい、より高次な細胞乃至は種へ発展し進化している。
私見によれば競争(闘争)と相互扶助(共生symbiosis)とは生物進化の要因としては、何れも等しい重要性をもつものである。この相反する現象こそ生物界に観られる普遍的原則なのである。同一種内に於いても、また、異種間に於いても、生存のための競争のあることは一々ここに例をあげるまでもなく、私たちの日常生活に於いても、広く生物界を見渡しても常に見られることである。
この点、Darwinの生存競争説は一面の真理を含んでいる。しかし闘争の面のみを強調して、その反面に生物界に広く見られる共生現象(相互扶助)を軽視した点に大きな欠陥がある。
私は、下等微生物の世界では多数の個体が集合し、融合、分化することによって繁栄し進化する事実を発見した。調和、調整は科学的な真実に一致する。
喜久男はえらい
愛ある研究
食物モネラちゃん
血球モネラちゃん
宿主母さん、食改してね!
赤ちゃん血球、毎日1700億!
官能的精子・卵子の起原と血球分化の総括的備考 千島喜久男
(1) 各種動物を通じ生殖細胞は、血液及び血球を母体として細胞を新生し、卵子はそれ等の退行変性と融合によって形成され、精子は精子細胞の退行によるモネラ状物質(chaosの相)から新たに形成される。
(2) 睾丸内では細胞分裂像が身体中最も多く見られるが、分裂像を示す前の生殖細胞は分裂による相続ではなく、新生体細胞から分化するものであることを強調しておかなければならぬ。
(3) 生殖細胞の形成は動物細胞の原始への回帰と考えられる。卵子はアミーバの被嚢状態、精子は鞭毛中に相通ずるところが多いからである。
(4) 体細胞と生殖細胞とを相互に無関係、独立的だとすることは誤謬である。体細胞(血球)の移動、定着と分化によって生殖細胞が形成されるからである。
(5) 遺伝学は前述の如き生殖細胞の血球起原論を正しく理解して、始めて正しい理論を構成することができるだろう。
(6) 血球をもたない動物や植物の生殖細胞は、血球に該当する要素、例えば動物では間葉性細胞または遊走性細胞、植物では液状中のミクロンの融合と分化によることも今後明らかにされるだろう。
(7) 飢餓により睾丸と副睾丸及び卵巣組織は血管及び血球へ逆分化する。
喜久男はえらい
愛ある研究
サリドマイド赤ちゃん
胎児性水俣病
宿主母さん、食改してね!
赤ちゃん1滴、致命傷!
波動と螺旋の根本 千島喜久男
① 不称相性(Asymmetry)これは形態的には左右不称性(それは素粒子から星雲まで)仮説的に超素粒子まで歪みをもつことになる。
② 矛盾、対立(Antagonism,Opposition)機能(働き)の上での対立、矛盾はたとえば素粒子の電荷、生体の極性、地球、天体の極性がその1例。生体の諸機能の対立は無数である。
③ 現象や形態の周期性(Periodicity)又はリズム(Rhythm)。これも元素の周期律を始め生命現象、自然現象に共通的である、
④ 可逆性(Reversion)とくり返し(Ripetition)繰り返して元へ戻ることは波動、螺旋の一つの基本条件である。すべての事象は可逆的で反復的である。古代ギリシャのHerakleitosは“万物流転”を説き、矛盾対立をその原動力と観たのは正しかった。古代中国の輪廻思想、ニーチェの永劫回帰の思想は可逆性と反復性を基本としているが、それらは何れも同一位相の繰り返しであり、循環だった。しかし完結した輪ではなく、変化(進化又は退化)を含むくり返し、即ち螺旋運動でなければならぬ。可逆性と、くり返しは宇宙の常道である。自然の摂理である。
⑤ 抵抗の存在 波動と螺旋は運動の方向であるが、これは運動する事物に対して抵抗の存在するために起こる。抵抗を排して前進するとき、しかも抵抗が強く、運動速度の早いとき螺旋性は一層はっきり現れる。この傾向は人間の精神及び肉体の運動(活動)を始め微生物の運動から更には極微の世界、素粒子の世界や極大の世界(星雲)に至るまで共通的である。
⑥ ゲル化 コロイドのゾル(Sol)からゲル(Gel)に変化するとき均質又は無構造だったものに波動(周期的)と螺旋的な形相が現われる。
⑦ ラセンの方向 螺旋運動(Spiral movement)はその方向によって右旋(時計の針の進む方向)と左旋、求心的螺旋(または収レン、凝集)と遠心的螺旋(放散、膨張、解体)などに区分することができる。
すべての現象や形態、特に生命のそれらに観られる波動や螺旋は上述7つの条件がその基礎となって現われる。
生物学も遺伝学も粒子性の前段階は、波動、螺旋そして連続的であることに気づかない限り本当のものにはならないだろう。
☆自発的対称性の破れ
粒子と反粒子では、大きさが同じで向きが逆になっているのです。進行方向に向かって左回り(左巻き)か、右回り(右巻き)か。ニュートリノと反ニュートリノは、どちらも電荷は0ですが、このスピンが、ニュートリノが左巻き、反ニュートリノが右巻きなのです。これはちょうど鏡の反転に似ています。
粒子と反粒子は、電荷(Charge)とパリティ(Parity)を反転させればまったく同じものになり、それが成り立つものを「CP対称性をもつ」と言います。
粒子と反粒子で、電荷とパリティの反転以外の性質が異なる場合、「CP対称性が破れている」と言います。こういったことが起きない限り、物質と反物質のアンバランスは説明できません。
私たちが存在する世界は、左右対称などの対称性をあまり好まず不安定な対称性は自然に壊れて非対称になる。そうした変化の中で、ユニークな粒子が発生して、それまで質量が0だった粒子に質量をもたらす。
対称性が自発的に敗れたときには、その乱れを回復させるために、質量0のユニークな粒子が発生する・・
すべての事物は矛盾・対立を内包する
喜久男はえらい
愛ある研究
自発生の量子色力学
質量0から
かすかなポチ☆金のめし種
人工培養細胞の研究をしている人で、治療法が本当に
見つかると、思っている人はいない。
複雑な生命現象は、一人の研究者が限られた時間のなかで
解明できるものではない。
年をとった専門家が、本当に優れているのなら、難病は
とっくに治せているはず・・
遺伝学者の信仰 千島喜久男
遺伝学者は、突然変異を、生殖細胞の染色体に起こる遺伝子の配列の変化(位置効果)や構造の変化、数の変化(倍数性)、あるいは染色体過剰に起因するものとして説明しようとする。
しかし、染色体の変化が異常形質の原因であるという確実な因果関係は説明されていない。だからこれは、因果関係というよりは、むしろ並行関係と見るべきであろう。それに細胞質における変化がほとんど考慮されていない。
これは、ゲンの染色体占位の考えからきていることは疑われない。
“遺伝的なものはすべて染色体的である”という一つの信仰からきている。
私見では、遺伝は、細胞とその環境(milieu)を含む全態に関係する。
遺伝学者は、人為的突然変異は染色体的変化によるものであり、獲得性遺伝とは全く別のカテゴリーに属する現象として両者を峻別せんとする。しかし、これは論理的にもまた生物学的にも、明らかに自己矛盾を含んでいる。
両者ともに生物の一生の間に獲得した形質であることは、明々白々たる事実である。両者の異なる点は、前者は比較的急激に不自然な有害感作を受けた結果であり、後者は比較的、自然的状態またはそれに近い状態で生物が生理的な適応反応を起こす余裕のある場合であることと、前者が遺伝的(時に致死的)であり、後者はそれが必ずしも次の世代に著明に認められないというに過ぎない。だから、両者の間に厳密な一線を画すべき性質のものではなく、主として量的な差によるものである。
にもかかわらず、これを本質的な差異があるものとするのは、明らかに機械論的峻別観からくる誤謬というよりほかはない。
生理的と病理的とは、本質的に異なる系列ではなく、程度の差、状態の両端を、抽象化して呼んでいるのに過ぎないのと同然である。
遺伝学者にして、かような固定観を堅持するのも、人間心理の弱点を暴露するものと言わざるを得ない。何故なら、彼らは、人為的突然変異を起こす要因及びその仕方が、生物にとって有害、不自然かつ急激であるため、生物がそれに適応するだけの余裕を持ち得ないためであることに、気付いていないからである。
元来、突然変異なるものは生物の内外要因の比較的急激かつ不自然、病理的な変化にもとづくものであり、環境や内因が正常かつ生理的に進行している場合にはほとんど起こらないことは多くの事実がそれを証明している。
生物体がかような非生理的な内外条件に適応して生き延びようと努めるのは、生物の本性から必然のことである。しかし、その生理的適応に対する刺激が限度を超えた場合に、いわゆる突然変異と呼ばれる病的、異常形質が現われる。
部分を見て全態を観ることのできないものは、進化論を論ずる価値なしと言わざるを得ない。
体細胞の変化
生物体の内外環境によって生じた体細胞の変化は、血液及び血球を通じて、生殖細胞にその生理的影響を伝えることができる。
両者は相互依存的また時に相互に可逆的である。
食改してね、宿主母さん!
赤ちゃん1滴 致命傷!
量の子論!
ハ~イ! 花ちゃんで~す! 空の穴博士 「花を見ると、可憐だと感じる。 それはそういう感じ方の通念があるからである。 しかし、ある時花を見て、何か不吉な不安な気 持ちをいだいた。 が、一瞬後、常識に負けて、その花を可憐なの だと思い込んでしまう。 ...